初投稿です!

初めまして。アラサー独身のサラリーマンです。日々学んだことや感じたことを少しず投稿していこうと思います。Blog初心者ですので、お手柔らかによろしくお願いいたします!

 

各種共同組合の前身である産業組合が、相互扶助を理念とした共栄火災を設立するまでのヒストリーを学んでみました。日本農業新聞「産業組合と保険①-⑧」

 

健保の源流として福岡県旧・宗像郡が、医療にかからずともコメ等の物資を医師に提供する「定礼」を紹介。福沢諭吉の門下生が生保設立。産業組合が保険に関心をもち、まず医療組合のモデルとなる病院を設立、国保事業の産組代行、生損保会社の吸収合併による会社設立は一旦頓挫したものの、東京海上の協力を得て損保会社を吸収合併させ、その後名称変更し、共栄火災海上保険設立というザックリとした流れになる。

①昭和の前半にかけては、農民は農村恐慌によって医療にかかりたくてもかかれない状況にあり、その切実な問題意識から営利目的でない病院、保険会社等の設立に漕ぎ着けていることが実感できた。

賀川豊彦が、「日本の信用組合は、不景気になった場合においては預金の引き出し等、普通銀行と同じくらいの危険性がある。この危険を防ぐための唯一の方法が生命保険を信用組合が兼営すること」と述べているが、こういった側面もあるのかと感心した。

共栄火災という名称の由来が、建前としては産業組合の標語である「共存共栄」にあるとしているものの、本音としては大東亜共栄圏の確立に微力を尽くすことからきていることに時代背景を感じざるをえなかった。